上廣歴史文化フォーラムは、単に歴史的事実を追求するのではなく、先人の思想や実践に学び、より根源的な「人の生き方」を考える機会を提供する目的で開催しています。様々な障害を克服して社会の発展や人々の福利向上に努力した郷土の偉人の足跡を辿り、地域の活性化に役立てていただくことを願っています。

2022年10月15日(土)上廣歴史文化フォーラム

「日本遺産にたずねる先人の歴史シリーズ」
第2回江戸時代の倉敷の人びと

今日の倉敷の発展の礎となった倉敷の近代化に繋がる江戸時代の倉敷をテーマに、日本近世史が専門で領主支配の関係や全国幕領に詳しい国立歴史民俗博物館の久留島浩特任教授と、倉敷代官所管下幕府領の精緻な研究で知られる倉敷市総務課歴史資料整備室の山本太郎主任が講演と対談を行いました。
久留島氏は倉敷が「天領」の町とされていることについて、そもそも「幕領」とはどのようになっていたのか、全国の幕領と備中の幕領の比較、勘定奉行から代官へ命じた古文書史料(天明9年正月「御代官江申渡」)をベースに「幕領」「代官所(陣屋)」「代官」を分かり易く解説。そして、代官所と各村の仲介機能を担った「惣代」と称される者が存在し、自主的な郡中運営が生まれていたことや、それぞれの仕事はどのようなものだったのか備中・美作の幕領を分かり易く紹介されました。

 

 

山本氏は「義倉」とよばれる、富裕者の義捐または課徴によって穀物を出させ、政府がこれを管轄して便宜な重要なところへ貯穀をし、入用のときに窮民に給与する三倉という中国起源の制度から「倉敷義倉」を解説。江戸時代中期の倉敷村の医師、岡雲臥が、庄屋などの力を借りて倉敷義倉を創設どのような相互扶助の仕組みで窮民救済が行われたのかを緻密な史料研究から披歴されました。
対談では倉敷が河川の氾濫による洪水や飢饉などたびたび災害に見舞われてきた特徴だけでなく、実質的に代官行政を肩代わりし、自主的に地域運営をする政治文化が形成され運営能力の蓄積が今日の進取の気風を生んだ倉敷の発展につながったことが強調されました。

 

参加者からは、「幕領=幕府直轄地のイメージだったので、その統治の重層性、多様性に驚いた」「民主的とは言えないにしても自発的要素が強く、その後の自由民権運動の下地にもなりえたという点も大変興味深かった」等の感想が寄せられました。
コロナ禍の中、約3年ぶり2回目の倉敷市立美術館3階講堂での歴史フォーラムは、60名の熱心な参加者が足を運び、約2時間半の講義に耳を傾けました。

 

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