日本における死生観言説の展開と死生学の形成
現在、日本の大学で「死生学」として講じられているものは、1970年前後に欧米で始まったDeath Studiesに大きな影響を受けたものだ。しかし、それを「死生学」と名づけ、Death and Life Studiesと英語表記しているのは、それ以前から日本で「死生観」言説がなされてきたことに関わっている。日本においては「死生学」に先立って「死生観言説」が一定の影響力をもってきたことが分かる。では、日本の死生観言説はどのような歴史をもっているのか。1900年前後に最初の波が高まっている。加藤咄堂が『死生観』を著わしたのは1904年だが、その前後に関連する言説が多数出現している。その内実はその後、文芸において深められていく。死生観を主題とした小説として見ることができるが、これまでそのように論じられることが少なかったのは、志賀直哉の「城の崎にて」である。そこでは死を前にした心の落着きが悟りの境地に相当するものとして描かれており、人間の成熟を画するものであることが示唆されている。これは「大津順吉」「和解」「ある男、その姉の死」の三部作や『暗夜行路』の主題とも深く通じている。こうして1900年代に形をなし始めた死生観言説は1910年代にその内実を深めていったことが見えてくる。それは近代日本の宗教思想、倫理思想の発展とも深くかかわるものである。こうした展開について資料に即して研究を進めるとともに、それ以後の時期についても研究を進めている。