東京大学大学院
  上廣死生学講座


京都大学こころの
  未来研究センター

東京大学大学院医学系
  研究科 赤林朗教授


東京大学大学院人文社
  会系研究科島薗進教授

倫理良書レビュー

島薗進教授(東京大学大学院人文社会系研究科)2010年度研究報告




 2010年度は日本人の死生観の歴史、および日本における死生観言説の展開と死生学の形成という問題に焦点を合わせて研究を進めた。

  1. 日本人の死生観の歴史
    このタイトルで想起される領域は広大だが、とりあえず@死別の悲しみと、A浮世観というところに注目している。無常が根本教理の一部をなす仏教は、そもそも死を意識すること、死別の悲しみを力に転ずることに大きな関心を寄せてきた。現代の仏教学的・倫理学的な日本思想研究ではこれらの側面は十分に研究されてこなかった。死生観と倫理観の関連が十分に理解されていなかったからだ。死別の悲しみについては、まず、明恵、法然、一茶、宮沢賢治を素材として研究を進めている。明恵と法然は論敵であるが、ともに親の死が出家の動機となり、その信仰世界を理解する鍵となる人々だ。一茶は俳人で宗教家ではなかったが、浄土真宗に帰依していたと言われその作品の背後に独自の仏教理解が見て取れる。一茶にとって母との死別が重い意味をもったが、娘のさととの死別を描いた『おらが春』は人々に深い感銘を与えてきた。宮沢賢治は妹のとしとの別れを詩作品に結晶化したが、その心情は法華経の影響が濃いといわれる童話作品の多くに反映している。一茶や賢治はとりあえず「宗教」ではない文芸の領域で宗教的なものを深く表現したのだが、これは「浮世」の思想と深く関わっている。橋本峰雄の『「うき世」の思想』に導かれながら、日本の文芸に現れた死生観と無常観との関係について考察を進めている。それは現代の死生観と倫理観の関わりに多くの示唆を与えるものとなるだろう。

  2. 日本における死生観言説の展開と死生学の形成
    現在、日本の大学で「死生学」として講じられているものは、1970年前後に欧米で始まったDeath Studiesに大きな影響を受けたものだ。しかし、それを「死生学」と名づけ、Death and Life Studiesと英語表記しているのは、それ以前から日本で「死生観」言説がなされてきたことに関わっている。日本においては「死生学」に先立って「死生観言説」が一定の影響力をもってきたことが分かる。では、日本の死生観言説はどのような歴史をもっているのか。1900年前後に最初の波が高まっている。加藤咄堂が『死生観』を著わしたのは1904年だが、その前後に関連する言説が多数出現している。その内実はその後、文芸において深められていく。死生観を主題とした小説として見ることができるが、これまでそのように論じられることが少なかったのは、志賀直哉の「城の崎にて」である。そこでは死を前にした心の落着きが悟りの境地に相当するものとして描かれており、人間の成熟を画するものであることが示唆されている。これは「大津順吉」「和解」「ある男、その姉の死」の三部作や『暗夜行路』の主題とも深く通じている。こうして1900年代に形をなし始めた死生観言説は1910年代にその内実を深めていったことが見えてくる。それは近代日本の宗教思想、倫理思想の発展とも深くかかわるものである。こうした展開について資料に即して研究を進めるとともに、それ以後の時期についても研究を進めている。

     

 

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