講師派遣事業
文化フォーラム
生涯学習フェスティバル
上廣フォーラム21
歴史・文化フォーラム

歴史・文化フォーラム          


  上廣歴史・文化フォーラムは、先人の思想や実践に学び、歴史的な視点から現在や未来を捉え、より根源的な人間の生き方を考察するために、文化人や知識人の講演や対談を通して学ぶ機会を皆様に提供するものです。東京開催のほか、山口県萩市、愛知県犬山市、岡山県津山市、長野県中山道小野宿など、歴史の足跡を今に伝える城下町や宿場町で開催しております。
 

「上廣歴史・文化フォーラム」開催報告



【東京開催】
東京を会場とするフォーラムは、江戸開府400年記念事業への参加をきっかけとして平成15年から始まりました。9年目となる平成23年度は、11月5日(土)に東京商工会議所ホールにて開催いたしました。参加申込み多数のため、抽選の結果、関東圏を中心に570名の方々にご参加いただきました。

<名 称> 第9回上廣歴史・文化フォーラム
<日 時> 平成23年11月5日(土)13:00〜16:00
<会 場> 東京商工会議所ホール
(東京都千代田区丸の内3-2-2)
<主 催> 財団法人上廣倫理財団
<後 援> 文化庁
<内 容>第1部講演 植松三十里氏(作家)
             「知られざる石炭の父・片寄平蔵〜幕末いわきのエネルギー革命」
           北岡伸一氏(東京大学教授)
             「後藤新平の近代日本のヴィジョン」
     第2部鼎談 橋本五郎氏(読売新聞特別編集委員)=コーディネーター
           北岡伸一氏、植松三十里氏

今回は東日本大震災の復興を願いに込めて「東北から近代の扉を開いた日本人」をテーマに、卓越したリーダーシップで関東大震災後の復興計画を先導した後藤新平と、常磐炭鉱を拓いた片寄平蔵という二人の東北ゆかりの人物に焦点を当てて、苦境を乗り越えた先達から何を学ぶべきか、講師の方々に講演と鼎談を行っていただきました。
第1部は作家の植松三十里氏から「知られざる石炭の父・片寄平蔵〜幕末いわきのエネルギー革命」、東京大学の北岡伸一教授から「後藤新平の近代日本のヴィジョン」と題してご講演いただきました。

第1部の植松氏の講演では、磐城の貧しい開拓農民の家に生まれながら、材木商を経て常磐炭鉱を拓き、幕府海軍に石炭を納入した片寄平蔵の生涯を紹介されました。
植松氏は平蔵の特に優れた点は、貧しい農夫から石炭を買い上げ幕府や外国船へ売るという販路を築き、さらに石炭からコールタールを抽出するなど、努力と創意工夫の人だったことを挙げられました。しかし、明治維新の8年前に攘夷浪人に斬られて落命。もし、明治まで存命していれば渋沢栄一や岩崎弥太郎クラスの実業家になる可能性があったと紹介されました。そして、炭鉱の火が消えた今日も、リゾート地として復興を果たした磐城の基盤をつくった片寄平蔵のような偉人を、今後も発掘し、小説のなかで生き返らせたいと語られました。
 
引き続き北岡伸一教授からは、「後藤新平の近代日本のヴィジョン」と題して、後藤新平の生涯を辿りながら、後藤の成功と失敗から、何が足り何が足りなかったかを学ぶことの大切さを述べられました。後藤は1857年陸奥国胆沢郡塩釜村(現在、奥州市)で誕生。後藤はこの辺境かつ経済的にも苦境だった地で、幕府に反旗を翻した高野長英との関係や戊辰の敗者として、逆境の中で鍛えられ、貧しい生活に耐え、それがやがてバネとなって変革のリーダーになって行ったと述べられました。衛生局時代、台湾統治、満州経営、震災復興など様々な要職を歴任。関東大震災の際には内務大臣として翌日に基本方針4か条を提出するも、焼けた土地を買い上げる計画は地主や政治家の反対に合い挫折。復興案は当初の計画より非常に小さくなってしまった。しかし、昭和通り、大正通り(現在の靖国通り)、明治通りが作られ、今なお建設中の道路もあり今日に生かされている。昭和天皇は「昔、後藤新平という人がいた。大規模な復興計画を作ったけれども、あれがもう少し実現しておれば、先の大戦の被害もあれほど大きくなかった」と語っておられたことを紹介されました。後藤は次々に巨大なヴィジョンを実現し、かつどこかで挫折も味わった近代日本の政治家で後藤の右にでるものはいない。明治から大正は組織の力を背景にしなければ大きな仕事を乗り切れない時代となり、大袈裟に言えばそれが日本を誤まらせていく原因となったことを述べられ、実現できたこと、挫折した点を検証することが日本を立て直す大きな鍵になると述べられました。

第2部の鼎談では、橋本五郎氏(読売新聞特別編集委員)をモデレーターとして、再び北岡教授と植松氏にご登壇いただいて鼎談を行っていただきました。橋本氏は、長年にわたり国内外の政治や経済を取材してこられたご経験と東日本大震災復興構想会議委員として今日の社会を幅広く見つめるジャーナリストとして、明快な進行で鼎談をまとめていただきました。植松氏からは、江戸時代の明暦の大火ですぐに復興計画を実現した松平信綱を、北岡教授からは明治の濃尾地震の際、名古屋で師団長をしていた桂太郎が、天皇の許可なしに軍隊を動かした事例など、有事の際には進退を顧みずに直ちに動いた先達の功績を引き出されました。橋本氏は、有名無名の先達の多くは、貧しさやコンプレックスをバネにして世界へ飛躍しており、橋本氏は、秋田出身で1912年に南極大陸に日章旗を立てた白瀬中尉を取り上げられ、英雄が誕生する背景には常に逆境や苦労があることを強調されました。また、北岡教授は、偉大なことをした人は偉大なのであって、欠点ばかりをあげつらう今日の傾向を取り上げられて、長所も欠点もトータルに評価して、本当に立派な活躍をした人は立派だと評価するメンタリティーが私たちには必要と述べられました。橋本氏は過去の歴史を遡るとき、負の側面ばかりに焦点を当てるのではなく、向上して行こうという優れた先達の精神をふくよかに理解し歴史に学び、現状に安住しない生き方こそ、現代の私たちに必要であると締めくくられました。

参加者のアンケートからも、「後藤新平の成功と挫折に感銘を受けた」「片寄平蔵のことを初めて知った」「歴史に埋もれた偉大な人々の偉業を誇りに思う」「大きな夢を持たせてくれる人の期待は大きい」などの感想が多数寄せられました。
想定外の事態が起きたときにどう対応するのか、歴史を知るということは、目の前の現実から飛躍して視野を広げることであり、歴史に学ぶということの必要性を改めて噛みしめる機会となりました。(文責:上廣倫理財団)






【地方開催】

@長野県中山道小野宿
四方を山に囲まれた長野県の辰野町小野と塩尻市北小野の二つの地域「両小野地区」一帯は、古くは「たのめの里」と呼ばれる一つの村でした。ところが戦国時代、飯田領主毛利秀頼と松本領主石川数正の間に領地争いが起き、1591年(天正19年)豊臣秀吉の裁決で唐沢川を境に分割されたと伝えられています。この「たのめの里」フォーラムは、自治体の境界線をまたいで開催されています。

<名 称> 「たのめの里」上廣歴史文化フォーラム
<日 時> 平成23年10月10日(月)13:00〜16:15
<会 場> 小野農民研修センター(長野県上伊那郡辰野町大字小野1290-1)

<共 催> 両小野地区振興会・財団法人上廣倫理財団
<後 援> 文化庁・塩尻市教育委員会
<内 容> 第1部講演 山本博文氏(東京大学史料編纂所教授)
             「江戸幕府と大久保長安」
      第2部パネルディスカッション「歴史を生かした地域おこし」 
           岩下哲典氏(明海大学教授)
           小野能正氏(小野酒造社長)
           立澤寿江氏(矢彦神社宮司)
           山本博文氏(東京大学史料編纂所教授)

第一部講演では、東京大学史料編纂所の山本博文教授が大久保長安によって初期中山道が開設され、小野地域は木材の輸送で栄えたことや、さかのぼって、関ヶ原合戦時に徳川秀忠が宇都宮から3万8千の軍勢を率いて出発し、和田岬を越えて下諏訪、塩尻からは木曽路に入って美濃赤坂まで移動したが、実際にどのルートを通ったかについては史料だけではわからない面が多いと語られました。両小野地域の方々が実際に歩いて検証されるような地道な取り組みが期待されると述べられました。

パネルディスカッションでは、矢彦神社宮司立澤寿江氏から、県宝である社殿の修復に大変な費用がかかるため氏子だけでなく地域の皆様に支えていただきたいとコメントされ、フロアからはアイデアが提案されるなどの一幕も。小野酒造の小野能正社長からは、地酒の地産地消に取組んでいることが語られ、歴史への関心を高めて地域に貢献したいという希望が述べられました。最後に明海大学教授の岩下哲典氏より両小野地区の特異性は世界遺産に匹敵するというヴィジョンが発表され、地域をより活性化していくことが提案されました。
ふるさとを愛してやまない両小野地区の人々の溢れる想いが感じられ、今後の「たのめの里」に目が離せない行事となりました。(文責:上廣倫理財団)




A岡山県津山市
江戸時代の津山藩は洋学研究の大家を藩医として登用するなど進取の気風があり、幕末から維新にかけて洋学が盛んに学ばれたと伝えられています。日本の近代化を支えた洋学の足跡を辿る津山洋学資料館で「江戸時代の北方問題と洋学」をメインテーマにフォーラムを開催いたしました。




<名 称> 津山洋学資料館・上廣歴史文化フォーラム
<日 時> 平成23年10月23日(日) 14:00〜16:00
<会 場> 津山洋学資料館 GENPOホール(岡山県津山市西新町5番地)

<共 催> 津山市教育委員会・財団法人上廣倫理財団
<後 援> 文化庁・岡山県教育委員会
<内 容> 講演 平川 新氏(東北大学教授)
          「江戸時代の日本は『帝国』だった〜ヨーロッパから見た日本」
      対談「江戸時代の北方問題と洋学」  
        平川 新氏(東北大学教授)
        岩下哲典氏(明海大学教授)
当日の平川新氏の講演はNHKラジオ第2放送(693kHz)「文化講演会」にて
 平成24年1月15日(日)21時〜22時全国放送されます。
          
講演では東北大学の平川新教授に「江戸時代の日本は「帝国」だった」をテーマにご講演いただきました。
江戸時代、廻船問屋の船頭としてロシアに漂着し帰国後に異国の文化や情報を広めた大黒屋光太夫が蘭学者の桂川甫周に語った事を記述した「北槎聞略」、大槻玄沢が若宮丸漂流民から聞き取った「環海異聞」、ロシアのカムチャツカ総司令官からクリル列島遠征隊長への書簡、ぺりーの持参した国書などに日本が「帝国」であったことが書かれていることを紹介されました。16世紀の戦国時代、スペイン・ポルトガルは世界征服という明確な意思をもって日本に宣教師を派遣してきたにもかかわらず、秀吉のバテレン追放令や家康の禁教令に彼らがなぜそれらに従わざるを得なかったのか。それは戦国時代の群雄割拠が日本を軍事大国にし、秀吉の天下統一により、その軍事力を一つの意思で動かせるようになったからであるとの指摘。秀吉による朝鮮出兵はマニラにいるスペイン人に深刻な恐怖心を与え、戦国時代を経て天下統一を果たしたことが日本を「帝国」と呼ばせるにいたったのではないかと述べられました。

幕末維新史が専門で明海大学の岩下哲典教授と平川新教授との対談では、まず、岩下教授より東北大学での震災の模様を平川教授に質問されました。平川教授は研究室が壊滅状態で未だに戻ることができず、今は古文書の保全活動に専念していると述べられました。津波をかぶってしまった資料は塩抜をしたり、エタノールで洗浄したりしなければならず、非常に手間のかかることや、東北アジア研究センターでは震災前から、大きな地震は必ず来るという判断から古文書を保管しておられる旧家に行き、資料の写真撮影を行って、どのお宅にどの資料があるかを管理していたため、沿岸部の15軒のうち13軒が津波で流されてしまったが、幸いに写真だけが残ったので、それを避難生活が終わられたらお返しすることにしているとのことでした。
次にロシア関係に取組むことになったきっかけを質問されました。平川教授は、東北アジア研究センターとして対象となる国はロシア・中国・モンゴル・朝鮮で、ロシアだけが相手国の資料が少ない事から、ロシアを訪問し資料を入手しロシア学の博士研究員を集めて翻訳をしてもらったことを述べられました。平川氏が、千年に一度ではなく、数百年に一度に大地震が来る事を想定した資料保存を八年前から取組んで来られたという熱意に、改めて歴史に学ぶとは実践することだと痛感させられる内容でした。(文責:上廣倫理財団)




B山口県萩市
萩は古地図さながらに由緒ある街並みと武家屋敷のたたずまいを現代に残す城下町です。維新の発火点となった長州藩領の首府であり、多くの維新の英傑たちが青春期を過ごしました。萩博物館にてNHKラジオ第二放送「文化講演会」の公開収録を兼ね、8回目の上廣歴史文化フォーラムが開催されました。

<名 称> 第8回上廣歴史・文化フォーラム
<日 時> 平成23年10月30日(日) 13:30〜16:30
<会 場> 萩博物館(山口県萩市堀内355番地)

<主 催> 財団法人上廣倫理財団
<後 援> 文化庁・山口県・萩市
<内 容> 講演 山内昌之氏(東京大学教授)
         「世界史のなかの吉田松陰」
当日の講演はNHKラジオ第2放送(693kHz)「文化講演会」にて
 平成24年2月26日(日)21時〜22時全国放送されます。
     
講演では、近代イスラム・中央アジア史、国際関係史がご専門の東京大学の山内昌之教授から「世界史のなかの吉田松陰」と題してご講演いただきました。吉田松陰は、黒船来航の危機に際し、勝海舟と同じような開国攘夷という海軍強化策をとなえていたこと、その視野は、世界史を見据えたもので、当時、師匠の象山でさえ、陸に誘い込み討伐するというような対策しか出来なかった中で、松陰の策は現代にも世界にも通じるリーダーにふさわしいものであったことをご紹介くださいました。松陰は、歴史から学ぶことを強く意識していた。歴史とは事実であり抽象的なものではなく、その視点から常に抽象論ではなく具体的な言動で人に接し、それが多くの維新の志士を育てる魅力だったことを語られました。

そうした歴史から学ぶ松陰の言動は、世界的に見ても評価されているマキャベリやアラブの歴史家イヴンバッツータ、ギボンなどと比較しても遜色がなく、松陰が早く亡くなった事は本当にもったいないことで、もし生きていれば大歴史書が残されたに違いないと述べられました。松陰は牢獄の中で囚人とともに学問をしたように、どのような人に対しても屈託なく、またどんな状況に対しても前進できる人であり、リーダーの資質である、一方では熱くもう一方ではどこまでも冷静に考えることができ、なおかつ人に素直に対することができるという想像できないほど、多くの資質を兼ね備えた人であったと熱く語られました。「松陰先生」と必ず敬称をつけるのがならいの萩の地で、あらためて歴史への誇りと先人への奥ゆかしい尊敬の念を深める学びのひとときとなりました。(文責:上廣倫理財団)




C愛知県犬山市
戦国の古色を残す国宝・犬山城。天守は全国の現存するもののなかで最も古いとされています。古くから交通や物流、政治の要所として栄え、戦国時代には合戦の舞台となり、江戸時代には城下町として発展し、今でもその歴史の足跡が多く残されています。犬山城 上廣歴史文化フォーラムは7回目を迎え、当日は犬山近郊から200名の参加者があり、「武士の家計簿」で著名な歴史学者、磯田道史氏に犬山城を存分に語っていただきました。

<名 称> 犬山城・上廣 歴史文化フォーラム
<日 時> 平成23年11月20日(日) 14:00〜15:30
<会 場> 犬山市福祉会館(愛知県犬山市大字犬山北沽券2)

<共 催> 財団法人犬山城白帝文庫・財団法人上廣倫理財団
<後 援> 文化庁・愛知県教育委員会・犬山市・犬山市教育委員会
<内 容> 講演 磯田道史氏(茨城大学准教授)
         「武士の家計簿そして御三家付家老」

講演では、茨城大学の磯田道史准教授から「武士の家計簿そして御三家付家老」と題して、主に犬山城初代城主の成瀬正成についての逸話を軸に講演をしていただきました。成瀬正成は17歳で、小牧・長久手合戦に初陣として参戦したとき、武将一人の首をとりましたが、軍の形勢は劣勢、それでも正成は前に出ようとしました。しかし、馬取は武将一人の首があれば生活は良くなるので、まだ17歳の若き将に死なれては困ると、手綱を放しません。その様子を30間(約60メートル)後ろから見ていた家康は、正成にさらに出陣の命を下し、馬取はようやく手綱を離しました。正成は先に進んで、劣勢に及んでいる味方に「後ろで家康公がご覧になられているにもかかわらず、逃げ帰っては、後世のものに合わせる顔もない」と士気を高め、自身は二つ目の首を手にしたという正成の質実剛健ぶりを紹介されました。そして、成瀬正成が徳川家康から初めて拝領したものは、ふんどし2枚だったと記録に残されているとのことですが、それでも正成は大変喜んだと話されました。また、元々家康からは2千石の領地を与えられているところへ、秀吉から5万石の領地を与えるので仕えないかと申し出があり、家康からも秀吉に仕えるようにと言われたにもかかわらず、正成は秀吉に仕えるならば、切腹すると涙ながらに断ったと言うお話を紹介されました。成瀬正成がどれほど徳川家康に敬慕の念を抱いていたか、そして、徳川家康もその成瀬正成の従順な姿に付家老として信頼をおいていたか、高い人格と信頼があってこその成瀬正成の人選であったと語られました。他にも過酷な戦国時代を生き延びた人々の生き方にまつわる逸話が紹介され、歴史を学ぶ楽しさが溢れる講演会となりました。(文責:上廣倫理財団)


※過去の開催
※地方開催の詳細はこちらから
 

HOME | 財団概要 | 道徳教育 | 生涯学習 | 表現教育 | 国際交流 | 研究助成
© Copyright 2004 財団法人上廣倫理財団 All Right Reserved.